「ソワカ・イズ・アライヴ」~キャラ/キャラクター論から見るソワカちゃん

第1部 その1より続く。

namak:えー、次のテーマに移ります前にひとつ残念なお知らせがございます。ハブ酒完売です!(会場どよめき、悲鳴) 早い! ハブ酒大人気! ハブ酒飲んだ人寝ないように気を付けてくださいね。
 それでは次のテーマに移りたいと思います。次のテーマ、こちら。

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namak:「ソワカ・イズ・アライヴ」。このテーマについてはですね、キャラ・キャラクター論の提唱者、そして、大のソワカフリークである伊藤先生にですね、講義形式で行っていただこうと思います。スライドの操作も伊藤先生が行います。生徒の皆さん、テキストの用意はよろしいですか?(と、本を取り出す)テキストでーす、『テヅカ・イズ・デッド』です。……みんな、持ってきてないんですか?(会場笑) せめてメモでも取っていってください。
 では伊藤先生、よろしくお願いします。
伊藤:どうもどうも、伊藤でございます。〔スライドの〕切り替えをお願いします。

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伊藤:はい、伊藤でございます、どうも。さっきmonadoさんがすごい過剰にキャラ作ってましたけど、今日小難しい話するっていう会議なんでちょっと前回の梵唄会より男女比が少し男の方が多いのではないかっていう気も……
SaltyDog:テラファロス!*1
伊藤:むさ苦しさがちょっと上がったみたいな感じがするんですけれど。こういう割と人文系とか社会、いわゆる文系のですね、やや難しい話っていうかコチャコチャした話っていうのにあんまり慣れていないお客さんも今日はいるのではないか、と思いまして、あえてですね、逆にハードコアにやろうかな、と。あえてね。ネタでそういう講義口調でやってますよ、っていうのだと、なんか自然にスルリと入るんじゃないかと思ったんですが、僕は本職は大学の先生なんで。しかも漫画学科とかそういうところでやってますから、単にいつもの講義をやればいいだろうと。そういう感じでパワーポイントも用意してきております。これね東京工芸大学漫画学科准教授ってこれ、マジですから。この四月からでございますけども。
 はい、えーと、「『護法少女ソワカちゃん』に見る「キャラ」生成と「語り」の構造」というタイトルで行ってますけども。

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伊藤:要するに皆さんご存じのとおり、ニコ動でボカロを使ったオリジナルとかが、色々ソワカちゃんだけでなしにいっぱい上がっているわけですね。で、「キャラ」と「キャラクター」を分けたという事で先ほどご紹介頂きましたが、キャラクターっていうと一般的にはアニメとか漫画の登場人物、というものとほとんど同じ意味にとられてしまうことが多い。しかし実際にはですね、いわゆる「ゆるキャラ」とか「pixivたん」みたいなああいうのも含めて、必ずしも物語に所属しない、キャラ単体だけで存在するというものが、世の中にはもう既にいっぱいある。それは皆さんよくご存じのことだと思います。
 ところが、これについて議論をしようとすると、いやそうじゃない、物語が先にあるはずなんだという考えの方になぜか引き寄せられてしまう。そういったことが、特に漫画やアニメについて語ろうとすると行われてしまうんですが、しかしニコ動というところで、たとえば東方とかああいったものも含めてボーカロイドっていうのを考えた時には、キャラの方が先にあるっていうことがきわめて自然に前提とされている、そのような表現空間であるということが言えるでしょう。

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伊藤:皆さんよくおなじみのニコ動ですね。これ去年立教大学でシンポジウムをやって*2、そこでも単にソワカちゃんの話したんですけど。(会場笑)
tricken:私、いましたよ。
伊藤:あ、来てくれたのね。
tricken:はい、伊藤さんのを見に。その後の荻上チキの時は帰りましたが(笑)。
伊藤:そうそう、あの時は観客半分ぐらいが海外から来た学者でね、通訳の人とかに「"護法少女ソワカちゃん"ってどうやって訳すんですか」「"esoteric girl Sowaka chan"だよ」*3*4とか言って。(会場笑)
tricken:それyoutubeのそのまんまじゃないですか(笑)。
伊藤:いやこれyoutubeで出てますからそれ典拠にしましょうとか言ってこう、指示したんですけれども。まぁこういうものである、と。何で立教の話したかというと、これキャプチャしたのが結構古いと、それだけですね。

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伊藤:「ウサテイ」*5ですね。東方が写っております。

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伊藤:で、一般的な意味での「登場人物」から分離した「キャラ」の定義というのを改めて。さっき御紹介いただきました『テヅカ・イズ・デッド』*6という本の中で〔「キャラ」の定義を〕したわけです*7「多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名」――名前ですね、ソワカちゃんとかですね、そういう名前――「で名指されることによって(あるいは、それを期待させることによって)、」――漫画やアニメの中に名前で呼ばれないキャラが出てくることが普通にあるわけですが、でもこいつには名前があるんだということは普通に言われるわけです。だから、場合によっては作品の中では名前がなくても、ユーザが勝手に名前つけちゃうっていうこともままあったりする。それが「それを期待させることによって」という表現になっているわけですけども――「『人格・のようなもの』としての存在感を感じさせる〔もの〕」。これはどういうことかって言うと、キャラの絵が出てきた時にですね、そこには「何か人の絵がある」というわけではなくて、「キャラがいる」という感覚になるという。それがまぁ、その存在感だったり生命感だったりするというものである。*8

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伊藤:そしてニコ動というところに着目してやると、その「キャラ」というものが受け手と送り手の非常に密接なコミュニケーションの中で、どんどん生まれてくる。キャラというものについて我々がものを考えようとした時に非常に手がかりをたくさん提供してくれるのではないか。それはなぜかっていうと、ここにざっとまとめてますけど、ユーザの間のコミュニケーションの高い密度、速度がある、一晩で様子変わっちゃうみたいなことがあるのを経験なさっていると思います。で、キャラを受け取るそして解釈する。それをまた変えていく、これもまた高い密度や速度でやる。  ソワカちゃんになぞらえていうのならば、例えばカラテソワカちゃんというのがいて*9、さらにカラテソワカちゃんからスモーソワカちゃん……今日スモーの人*10きてるんですよね?

「きてるきてる」「あーいるいる」の声。

伊藤:あーこんにちは。
tricken:おーでけぇー。
namak:ありがとございまーす。
伊藤:いらっしゃる、という。あるいはヤンデルとかグレテルは、本編ではチラッとしかでてこないけれども、凄い人気じゃないですか。あれ、ヤンデルの人いる……グレテルちゃんもいましたよね、そういうことがある。あるいはミクがですね、そもそもネギを持っているとかいう、ああいう設定もユーザの側から自然発生的にでてきた。ということもあって、そのキャラというものがそもそもどういうものなのかという、原理的な理解に対して〔ニコ動〕はいろいろな手がかりを提供してくれるだろう、なぜならば、アニメとか漫画というものはその物語世界にキャラが埋没してしまっていて、キャラそのものを取り出して分析するというのはちょっとやりにくいというところがあるんですね。

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伊藤:この辺は良くご存知だと思いますけれども、ニコニコ動画というのは動画の上でコメントが同時再生される。コンテンツの層とコミュニケーションの層というのが多層化して同時に提供されている。まぁテクストの中、物語世界、てか作品の中の層と、作品の外の層というのが同時に展開されている、二層になっているということですね。

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伊藤:で、キャラとキャラクターという概念はですね、リアリティというものの水準を分けているわけです。〈現前性〉〈もっともらしさ〉という言葉を僕は使っているんですが。現前性というのは、とにかくキャラ絵がボーンと描かれたら「そいつおるやん」と、いるっていう感じがする。例えば小学校くらいの時にですね、なんかノートに顔とか落書き、キャラ絵をしてて「それ誰?」とか聞かれてすごい恥ずかしい思いをした人、多分この中にいると思うんですよね。これ漫画系自作系の学校でこの話するとほぼ全員だったりするんですけど。「誰?」っていわれるってことは、「それ何?」じゃないわけですよね。「いる」っていう。これが〈現前性〉です。で、〈もっともらしさ〉っていうのは、一般的な意味で言うリアリティね。これは本当にありそうかありそうでないのか、現実にありそうかありそうでないのかということを、皆さんが日常生活の中で得た知識や記憶と参照することで測られるものである。これを分けてやろうと。これが現前性というのはキャラのレベルが担い、もっともらしさはキャラクターのレベル、ようはお話の中の設定であったり様々なエピソードであったりというのが担う、という、こういう言い方をしている。で、下の「マンガなどの自然主義的なリアリズムは、キャラクターがキャラのリアリティを覆い隠し、見えなくすることで成立する」というのは、これは今日の話では、あまりかかってこないので、皆さん『テヅカ・イズ・デッド』を読んでくださいね。

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伊藤:というところで、次いきます。
namak:定価2400円になります。
伊藤:税金かかるけどね。
tricken:いい本です。
伊藤:こないだ増刷かかったとこなんでね、もうどんどん買って。
SaltyDog:ああ、僕も持ってます。
伊藤:えー、それでニコ動というのが、このキャラの需要にすごい向いてたっていうのは、〈コンテンツの層〉〈コミュニケーションの層〉、これは東浩紀という皆さんも知ってる……
tricken:知ってるのか……(笑)?
伊藤:まぁ、知ってる人は知ってる、っていう人の整理ですけれども。キャラというのはテクストの外、物語の外に遊離して現前性を担う。要はあるアニメとかなにかから引っこ抜いてきて絵を一枚描いただけでも、そいつがいるというのは変わらない。キャラクターというのは物語の中にとどまってもっともらしさを担う。これが、そのニコ動の動画の層であるところの作品の層とコミュニケーションの層、コメントの層というのの二層(東 2001)*11と、これ構造的に同型である。だからキャラを重要視するオタク層の強いコミュニティ志向というのも非常にうまく合致したのではないか。だから『ソワカちゃん』がニコ動発というのは、ボカロの特性とかも含めて非常に必然的なことであった、ということです。

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伊藤:で、キャラというのは、ちょっとおさらい的になりますけれども物語に登場するための内面を有する架空の人物だったものが、ありうべき物語がギュッと圧縮されて、人物、イラストの中に封じ込められてる状態という認識に変わっている。これはもう、皆さん普通に持ってる感覚だと思うんですけれども、ちょっと確認しておきましょう。これは80年代から同人誌だとかなんだとかによって醸成されてきた。これは新城カズマさんて人の本(新城 2006)*12からになってますけれども。

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伊藤:ものすごい早口で喋ってますけれども、まぁ、ミクってそういうもんだよね、というのがあって、この辺は立教で中国人の学者とかアメリカ人の学者に説明するためのスライドなんで、もう説明しなくても大丈夫だよね、というところで。

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伊藤:ミクはネギを持っているという設定があって、それによってミクの存在感が増す。ここでちょっと強調しておきたいのは、ネギを持ってる設定はミクの物語としてのアニメなりマンガなりがあった訳ではなくて、ユーザーの側から勝手に出てきた訳ですね。実際これは『初音ミク』がリリースされて4日後にはもうすでに出てきたという、驚異的な話がある。

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伊藤:で、ここで言っておきたい今日の話の核のひとつなんですけれども。キャラというものがあったときに、その設定だとかエピソードだとかが蓄積されていく。で、これまで従来はそれはアニメだったりマンガだったりという物語表現で担われていた。しかし、ボカロとかニコ動というのは、それが、おそらくそのボカロの前、東方があるんですけれども、固有の作品ではなくて、コミュニティの側、人が勝手に「このキャラってこうだよね」「ネギ持ってるよね」みたいなことを言い合ってるって方が担うようになってきた。その、作品ではなくコミュニティ、コミュニケーションの側が、キャラへの存在感を強めるような設定とかエピソードを担ってる中に、そうではなくむしろ物語、ソワカちゃんワールドってのがある訳ですから、物語の側が担うという状況に対してむしろ、言い方悪いんですけれども、反動的なものとして出てきたのが『ソワカちゃん』である。
 上の4行は単に対外的な説明ですから、皆さんもうわかってるものとして端折ります。
 で、いわゆる派生キャラ、弱音ハクとかですね、亞北ネルとか色々いますけれども、そいつらとの違い。ソワカちゃんも時に派生キャラのひとつとしてカウントされることがままあるんですけれども、派生キャラたちというのは、キャラがいるっていう感じをより強めて担保するものというのは、コミュニティの側のユーザーの皆さんのコミュニケーションの中にあった。ソワカちゃんももちろん、そういうレベルはあります。ありますが、ソワカちゃんはそれよりもさくしゃさんが作っているソワカちゃんの物語というソワカちゃんワールドの方がより強くそれを規定している。
 ただし、ここで注意しなければならないのは、ソワカちゃんワールドというのは、1話から順番にリリースされている――リリースって言わないか――うpされている訳ではないことからもわかるように、(会場笑) 単一の物語を特権化するものではなくて、物語の複数、というよりも多数の断片というものがややランダムに投入されることによって織り成されている。例えば「バルドソドル」とか「噫無常」とか、ああいう外伝的なものも並列している。
SaltyDog:あー、はいはい。

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伊藤:ボカロ亜種はよくご存知だと思いますけども、こういう連中がいるわけですよね。(会場、どよめきと笑い)
SaltyDog:居るんだ。
tricken:いやー、すごいよなあ。
伊藤:これもだけどね、去年の秋にキャプチャしたやつだから今もっと増えてると思うんだけど、で……
SaltyDog:あはは。
伊藤:これがこんなにウケるとは思わなかった。
SaltyDog:あはははははは。
tricken:立教では全然反応が……
伊藤:なかったね。
tricken:なかったですよね。
伊藤:でもね、通訳の女の人にはすっごいウケた。これ。
tricken:マジですか。へー。
伊藤:で、それはいいんだ。でですね、ソワカちゃんと派生キャラのもうひとつの違いというのは、派生キャラは「飽きた寝る」とか「弱音吐く」という風に、ある心理の状態とかある行動とキャラの名前がぴったり結びついていて他の行動が非常にさせづらいわけですよね。これはですね、マンガの歴史を紐解くと、非常に古い時代のキャラというものが成立する以前、「平気の平太郎」とかね「呑気な父さん」とかそういう名前のものだった頃……要はキャラの属性がそのまま名前になっている。そういうある種「キャラのなりかけ」みたいなものである。

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伊藤:何でかというと、おそらくですね、そういうコミュニティの側が設定やエピソードを担ってしまうと、何か勝手に話を作ってしまったとしても、それは何か誰か勝手に作ったものというだけで、そのまま流れていってしまう。だから、非常にミニマムな最低限の要素しかキャラに付随し得ない。そういうことになっている。
 しかし、ソワカちゃんはそういう派生キャラ達が被っているような、キャラをキャラとして分岐させないような力の影響をあまり受けていない。なぜかと言うと、一番はですね「ソワカちゃん」という形で最初に固有名を変えてしまった、ってことなんですね。もちろん、ソワカちゃんの声は初音ミクの声な訳です。だけども図像が、絵がですね。微妙に違っていた。(会場笑) これが大きかったわけですよね。で、それとストーリーが当然あった。それから、ソワカちゃんと絡むような他のキャラクター達、クーヤンであるとかパパであるとかマローラモとか、そういうのが色々いたという。だから、クーヤンあたりまで一部ではボカロ派生キャラにカウントされているようですが、それはどうかなという気もかなりするんですけど、
SaltyDog:うーん。
monado:うーん。
tricken:違いますよね。
伊藤:で、次にソワカちゃんのいわゆる二次創作を見ていくと、ソワカちゃんというキャラがどのように受容されてたかという変遷がある程度見える。ここに今挙げているのは、ソワカちゃん初期の頃の二次創作ですね。描いた方いらっしゃるのもあるんじゃないかなって気はするんですが、

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伊藤:えー、小野秀一さん*13いらっしゃるとちょっとやりづらい気もするんですが(笑)。
 初期の右下の方の絵は見てもらえるとわかるんですが、初期に描かれたソワカちゃんは、袖の形とか髪型とかが完全にミクなんですよね。要は初めのころは初音ミクというキャラがソワカちゃんというキャラクターを演じているという。割とそういう受け取られ方をしていたのが、途中から段々ですね、あの「ソワカちゃんはネクタイをスカートに入れている」っていう設定ができたあたりからだと思うんですが、ソワカちゃんはソワカちゃん、ミクはミク。っていう風に段々と別れてくる、分岐してくる。そもそもそのネクタイをインしているっていうのも、これも実はユーザーの側、受け手の方が勝手に作った設定でさくしゃさんが乗っかったっていう格好なんですけれども。そうなると……

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伊藤:これはご本人いらっしゃる?
tricken:いや、今日はkumamiさん*14は来てないです。
伊藤:来てないですか。一周年記念動画ですよね。初音ミクがソワカちゃんの一周年をお祝いするという、替え歌動画*15。見た人多いと思いますけど。これちょっと面白くてですね、手前のパソコン叩いてる初音ミクっていうのはこれの作者、これを作った人、kumamiさんの一人称を代行しているという形になっているわけですね。で、こういうことになると。

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伊藤:初音ミクがソワカちゃんを祝福するという……なんか非常にメタな感じというか。『アーキテクチャの生態系』という本を書かれた濱野さんが、『ヒアホン』*16という雑誌で「ソワカちゃんがミクを祝福する」という、逆だろ!って。あれは言っとかなきゃって思ってるんですけど(笑)。
monado:改宗する必要がありますね(笑)。
伊藤:こういう事態になってると。

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伊藤:えーとここまでソワカちゃんがミクから分岐するっていう話をしたんですけども、時間大丈夫?
namak:時間はですね、まあなんとかなります(笑)。
伊藤:なんとかなる? じゃあこのまま行こう。
 これは『ユリイカ』に書いたことなんですけど(伊藤 2008)*17、ソワカちゃんっていうのは実は非常にその語りの構造が複雑である。『ソワカちゃん』は基本的に歌で全部説明するっていうことになってるんですが……これ第12話の「善悪の彼岸」の一部なんですけど、歌はどちらかというとナレーションなんですね。
 「わたしはまるで興味が持てない」。「わたし」っていうのはソワカちゃんなわけですが、しかしこの場面のその時に画面の中にいる図像のソワカちゃんが感じてることを言っているわけじゃないんです。「まるで興味が持てないよ」って言ってるわけじゃなくて、「わたしはまるで興味が持てない」という、第三者的に言っているわけですね。これ結構複雑で、ここで同時に吹き出しでメカ沢先生が喋っている。これを我々は喋っているという風に受け取る。しかしこれは「文字」なんですよね。所詮文字な訳です。音声ではない。音声はソワカちゃんの世界ではボカロによる歌しかないわけですね。その意味では我々はソワカちゃんの本当の声というのを聴くことは出来ないわけです。

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伊藤:次に、じゃあそれはどういうことによって成立しているのか。これは1966年の……下が切れちゃってますけど、花村えい子の『霧の中の少女』というかなり初期の……初期でもないですね、60年代の少女漫画なんですが。ちょっと画像がぼやけてて見えにくいですけど、吹き出しに囲われてる文字のほかに、色々ナレーションがあります。これを説明してると大変なんで説明しませんけども、左下のナレーションがですね「霧の中に泣き濡れている美しい少女/焼きつく様な印象を残して幻のように消えた人/その少女の名を私は知らない」って言ってるわけですね。
 この「私」っていうのがナレーションの特権的な誰か、物語の外から語っている語り手なんですが、我々はこの左ページの右下にいる帽子をかぶっている女の子の、主人公の声として読んでしまう。こういう曖昧さが、実は漫画の中の文字にはある訳です。
 もう少し強い言い方をすると漫画の中の文字、というのは文字であり我々は目でそれを読む訳ですが、しかし我々はそれを「誰かの声」として聞いてしまう。あるいは書き文字で書かれる「バーン」とか「ダーン」とかそういうものも、それは文字にしかすぎないのにもかかわらず我々はそれを音声として受け取ってしまう。
 すなわち、漫画の中に書かれている文字というものは目と耳の間にあるという、そういう言い方もできるでしょう。

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伊藤:あるいはもっと最近のものであれば、『働きマン』ですね。このシチュエーション、別れ話の後ですけれども、フキダシに囲われない声。この左ページの真ん中の段は、コマとコマの間の間白〔まはく〕に書かれています。これは物語の外から挿入されている声なわけです。しかし、これは主人公の声であるということを我々は認識している。しかしこれは時間的には、この場面よりも未来から過去を振り返っているような声であるという了解を我々はしている。
 『ソワカちゃん』における、歌っていうのは、この少女漫画におけるモノローグとかナレーションの位相にかなり近いところにある。そして我々がこれを「文字であるにもかかわらず声として聞く」という、そういう二重性があるわけですね。で、その二重性というのを、まさに物理的に画面の中のテロップとボカロの歌という形で本当に物理的にそれをやっちゃったっていうのが『ソワカちゃん』であろう。

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伊藤:それをまとめるとですね、『ソワカちゃん』というのはこういう語りの多層的な構造がある。「歌による物語の層」、それから「動画による物語の層」、それから「台詞やナレーション〔の層〕」、これは文字による部分ですね。今12話の場面が出てますけれども、グルグルが出てきてるとこですね……呉くれぞうか。この三層がある。この各々の層による物語の記述にズレがはらまれるという……丸が抜けてますけれど……文字による声と物理的な音声・歌の多層化ということが行われている。
 さっきチラッと言いましたけれど、どの「声」が「真に」ソワカちゃんのものなのか? ミクの歌声で「わたしは」と言っているのがソワカちゃんの声だという風に我々は一応了解しているけれども、しかしフキダシで語られる、我々が本当に音声で聞くことができない文字で語られている「声」こそが真のソワカちゃんの声かも知れない。この乖離があるわけですね。

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伊藤:こうした語りの多層的な構造というもの、そのズレというのはさらに子細に検討することが恐らく可能であります。しかしそこで、そのズレというものについてさくしゃさんはある程度自覚的であって、一種の“叙述トリック”も可能になる。
 例えばこれ、この後の動画、第1話その4の「秘陣閃耀降魔〔ひじんせんようごうま〕」。「隠されたメッセージをコックリさんで解き明かすよ」。「雪って食えるの?」「雪か、食えるよギリギリ」って言ってるのをコックリさんで「HAL→IBM変換」ってやってるんですけれども……これよく考えるとおかしいんですね。音声で聞いたものを、いきなりコックリさんの五十音表で一個ずつずらすっていう……ソワカちゃん、すごいですよね?(会場笑) 耳で聞いたのを全部覚えてて、文字で頭の中で変換してくっていう、同時通訳とかの訓練を受けた人ならともかく。これ変なんですけれども。
 『ソワカちゃん』には実はこの手の、よく考えると変というものがそれとは意識されない形で大量に含まれている。これはまあ一種の……“叙述トリック”にチョンチョンが付いているっていうのは、これは比喩的に言ってるからですけれども、「この物語を語る叙述の方法の中に含まれているトリック」というほどの意味です。『ソワカちゃん』というのは物語内のソワカちゃんたちが、物語の中では音声であるはずのものを、あたかも文字のように扱うことによって、この手のアカシック・レコードからの受信というのは、ほぼされてるわけですよね。
 ……あ、何かみなさん、食いに走ってませんか?
SaltyDog:いえ……(モグモグ)。
namak:ちゃんと聞きなさい、あなたがた。
伊藤:話聞いてよ。
tricken:聞いてます聞いてます。
伊藤:音声であるはずのものをあたかも文字のように扱う。しかし我々はこれを受容するときに違和感を全く感じないのは、先ほど見たような、そもそもマンガという表現が孕んでいた「文字を音声として受け取る」という、そういったものから来てるのではないか。この音ないしは声、それから文字の自覚的な混同というのが、「登場人物が物語の外の言葉を読む」といったようなことにも繋がってくるのではないだろうか……これはやや批評的な言い方をしてるけれども。アカシック・レコードから、虚空蔵からのメッセージというのはですね、まさにこういった『ソワカちゃん』の語りの構造が引き寄せた部分というのはあるだろう。単にこれはさくしゃさんのオカルト趣味だけではない。
 ……というような、超特急ではございますけれども、『ソワカちゃん』の語りの構造とソワカちゃんとニコ動という土壌の関係等について、ざっと整理をいたしました。これは後の議論に対してですね、いろいろと土台になっていくのではないかと思います。というところで動画に振ればいいんですか?
namak:はい。
伊藤:あ、その前にディスカッションがあるんだ?
namak:いや、えーとですね。時間の関係上、この出来の悪い生徒たちからの質疑応答はカットということで。
伊藤:あ、そうなの?
namak:すぐ動画のほうに移ろうかと思います。
伊藤:じゃ、動画の紹介は俺がやればいいんだよね?
namak:あー、ちょっとセンターの方にお戻りください。うさぎさん(アヨハタ)が動画の準備をしますので、未秘ちゃんがね。先生、講義をありがとうございました。未秘ちゃんが動画を準備するまでの間、少々お待ちくださいね。伊藤先生、お箸のほうがありますので食べてください。

アヨハタから動画準備完了の合図。

namak:そういうわけで、もう動画にいっちゃおうかと思います。そういうわけで、そんな辺りに注目してご覧ください。1話その4「秘陣閃耀降魔」。よろしくお願いします。

秘陣閃耀降魔」上映。

第1部 その3へ続く。


*1 当時、作者のkihirohitoを含めたTwitterのソワカちゃんクラスタで流行していた「テラ・ファロセントリック」(すっげえ男根主義的)の略。
*2 2008.10.24,「越境するセクシャリティ/ジェンダー ――メディアを通じた変容」於・立教大学社会学部.
*3 http://www.youtube.com/watch?v=BIUNIhy2ZmE
*4 http://www.manga-culture-japan.com/2008/07/sowaka-chan-buddhism-guardian-angel.html
*5 IOSYS,2007,『ウサテイ』(http://www.nicovideo.jp/watch/sm745437
*6 伊藤剛,2005,『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』NTT出版.
*7 (伊藤 2005: 95)
*8 改めて、(伊藤 2005: 95)における〈キャラ〉の定義を繋げると、以下のようになる:多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって(あるいは、それを期待させることによって)、「人格・のようなもの」としての存在を感じさせるもの。一方、しばしば対比される〈キャラクター〉とは、「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」を持った「身体」の表象として〔傍点開始〕読むことができ〔/傍点終〕、テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの(伊藤 2005: 97)と定義されている。
*9 インベント・リー,2008,『【まがいもの】南無666 カラテソワカちゃん【やっつけSP】』(http://www.nicovideo.jp/watch/sm3491996,2008.05.30)
*10 スモーソワカちゃんとは……これだッ!:http://www.nicovideo.jp/watch/sm4185341
*11 東浩紀,2001,『動物化するポストモダン——オタクから見た日本社会』講談社.
*12 新城カズマ,2006,『ライトノベル「超」入門』ソフトバンククリエイティヴ.
*13 ソワカちゃんファンの絵師。http://www26.atwiki.jp/sowaka-fan/pages/113.html
*14 ソワカちゃんファンの絵師。http://www26.atwiki.jp/sowaka-fan/pages/23.html
*15 kumami,2008,『【替え歌】初音ミクがソワカちゃんへの想いを歌ってくれました』(http://www.nicovideo.jp/watch/sm4749191,2008.09.26)
*16 佐々木敦が編集・発行している音楽専門誌。
*17 伊藤剛,2008,「『ソワカちゃん』から『初音ミク』へ」『ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集 初音ミク――ネットに舞い降りた天使』,171-8.

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Last-modified: 2010-04-24 (土) 00:00:00 (2561d)